「学習マンガ」の超進化:『ねこ耳少女の量子論』 [マンガ]
かつて学習マンガは学習>マンガであった。
出来はそれぞれであったが、とりあえず「マンガ」として読めるものではなかったと思う。
それはあくまで「学習」の外側にくっついたもので、「親しみやすい」という印象を与える装飾に過ぎなかった。
しかし、時代は変わった。
『ねこ耳少女の量子論』はたしかにマンガなのだ。
表現として自立しているのだ。
そこにはちゃんと「世界」が成立していて、過去と未来を抱えた登場人物は「設定」に還元されない感情を持っている。
これは驚くべき事だ(と思うんだがどうだろう)。
もちろん、これを読んで「量子論がわかる」訳ではない。
(まあ、「わかる」をどこに設定するかの問題ではあるが)
ただ、その概念の逆説的なイメージの魅力はそれなりに伝わると思うし、それで十分だろう。
個人的には、「量子には個性も違いもないから見分けがつかないし区別もできない」という話が好きです。
出来はそれぞれであったが、とりあえず「マンガ」として読めるものではなかったと思う。
それはあくまで「学習」の外側にくっついたもので、「親しみやすい」という印象を与える装飾に過ぎなかった。
しかし、時代は変わった。
『ねこ耳少女の量子論』はたしかにマンガなのだ。
表現として自立しているのだ。
そこにはちゃんと「世界」が成立していて、過去と未来を抱えた登場人物は「設定」に還元されない感情を持っている。
これは驚くべき事だ(と思うんだがどうだろう)。
もちろん、これを読んで「量子論がわかる」訳ではない。
(まあ、「わかる」をどこに設定するかの問題ではあるが)
ただ、その概念の逆説的なイメージの魅力はそれなりに伝わると思うし、それで十分だろう。
個人的には、「量子には個性も違いもないから見分けがつかないし区別もできない」という話が好きです。
コメント 0