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なんだか残念だ… [雑記]

昨日の続きです)

仲俣さんが下記のような注を加えている。

*1:沼野充義は引用箇所の直前で「そう言えば」と唐突に話を転換しておいて、「『1Q84』が避けて通っている問題」が何かを具体的に明示することもせず、挙げ句の果ては「なんだか〜とも思えた」というへっぴり腰でこの文章を終えている。こんなものは難癖というだけで、批判にもなっていない。『ポスト・ムラカミの日本文学』や『極西文学論』でも繰り返し論じたように、「暴力」の問題は村上春樹にとってだけでなく、「現代日本文学」にとっての大テーマである。これほどの大テーマに触れるなら、夕刊の五段分もある文芸時評の枠のなかで、沼野氏はもっとこの問題に字数を割くべきだった。沼野さんにはどこかでぜひ、あらためて真正面からの村上春樹批判、あるいは「現代日本文学批判」をお願いしたい。

ようするに、沼野氏の書きぶりがいかにひどいかという話である。

前にも書いたが、私としては沼野氏の事はどうでもいい。
どちらの読みに説得力があるかは、読んだ人が勝手に判断すればよい。
仮に沼野氏がどれほどトンチンカンなことを言っていようが、私が感じている違和感は仲俣さんの文章自体に対するものだからだ。

私が何だかなー、と思うのは

作者の「本意」を勝手に代弁して、他人の読みを「誤読」と切り捨て

「売れた本の悪口を言うのが批評家だと思っているのだとしたら大間違いである」というのは、根拠不明の言いがかりをつけ

「沼野氏のような「誤読」に基づく『1Q84』批判は案外多いのではないか」という、これまた具体的な根拠ゼロの臆断で、あらかじめ批判を封じようとしているように見える

といった点である。

個人的に失望したし、仲俣さんの批評家としての信頼性にも関わることじゃないかと思った(余計なお世話だが)。

私は今回の発言は、たまたま冷静さを欠いて「言っちゃった」ものだと思っていたのだが、加筆されたのが先の注であることを考えると、そうでもないのかもしれない。

それが仲俣さんにとっての「批評」だとするなら、何とも残念だとしか言いようがない。
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