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やはり新エヴァは「ひぐらし」に見える [アニメ]

二度目の『破』行って参りました。
今回もバルト9。KINEZOで前日にチケット取ってみた。なかなか快適なシステムだ。

今回も面白かった。
感想は前回と大きく変化していないが、やはり私の中の「ひぐらし見立て」は進んだ気がする。
レイやアスカのソフト化も「蓄積の結果」に見えてくるし、ラストのカヲルの台詞など、あまりに決定的に聞こえてしまう。お前が梨花か。

と言っても、私は別に謎解きがしたいわけではなく、ただこの作品への興奮と苛立ちをどちらも否定せずに置いておける場所が欲しいのだ。

そして、そのとき、自分の中に「ひぐらし感覚」がしっかりと根を下ろしているなあ、と思う。

新劇場版には確かに何か重要な核が欠けて見えるのだが、それを言い立てるのは、「祭囃子編」を単体で取り出して「ご都合主義」と言いなすようなつまらなさがある。

「なぜ欠けて見えるのか」を作り手の状況に還元するのではなく、作品内の論理で担保したいのだ。

まあ、結局次作を待つほかないのだが。
全部トラップだった、というような構成がされてたら、また面白いし。

さて、ひぐらしと言えばループ、ループと言えばハルヒの「エンドレスエイト」で、批評家の福嶋亮太さんが、また面白いことを書いている。
http://blog.goo.ne.jp/f-ryota/e/4f8ac0e16510d7dfb7d15b17166ad768

ハルヒはほんと恐ろしいほど「勝負に出る」作品で、まあ、それはここではいいんですが、

少なくとも、生産=消費のモードの変化という意味に限れば、『破』よりも「エンドレスエイト」のほうが遥かに重要だとここで断言しておきます(笑)。

なんて感じで、どうやら福嶋さんは『破』についてはあえて語る価値なしという感じらしい。
前にも

あと、さっき『破』を見に行ってきました。なんというか、『1Q84』と『破』を並べて見ていると、我々の集合的記憶はとどのつまり1995年あたりで凍結されているのではないかと思わざるを得ません。まさに、宮台さんのおっしゃる「前向性記憶障害」というやつ。

とのことで、まあ私としてはもうちょっとちゃんと論じてくれないかなあ、と思う。

福嶋さんは、私の知る限り、最も独創的で刺激的な批評家で(独創的過ぎて、よく理解できないことも多々…)、だからこそ、ことのついでにあしらうようなのではなく、ガッツリした批判を展開して欲しい。
つまらない批判ならいくらでも転がっているわけだから。



終了後、拍手は起きなかった代わり、ため息と歓声とどよめきが混じりあった不思議な空気が広がった。
ちょっとよかった。
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