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すきなものとすごいもの [小説]

先日ふれた篠田一士『二十世紀の十大小説』に、ヘミングウェイの「白い象のような山々」が出てきて、古い文庫本を引っ張り出した。
読んだことはあるはずなのだが、正直忘れていた。
そして改めて衝撃を受けた。

いや、なんとも凄い作品だ。
最初から最期までまるで音楽のような完璧なリズムで進む。
美しく、そして、怖い。

(おそらく絶版で申し訳ないのだが、引用は手元にある大久保康雄訳)

「ほんとに、ひどく簡単な手術なんだよ、ジグ」男は言った。「実際のところ、手術なんてものじゃないんだ」 女はテーブルの足元の地面を見つめていた。 「きみだって気にしちゃいないだろう、ジグ?ほんとになんでもないんだ。ただ空気を入れるだけなんだ」 女は何も言わなかった。 「ぼくも、いっしょに行って、ずっとつき添っているよ。ちょっと空気を入れるだけなんだ。そうすりゃ、すっかりもとどおりになるんだ」 「それからあと、あたしたちはどうするの?」 「あとはよくなるさ。前とおなじようになるんだ」 「どうしてそう言えるの?」 「ぼくらを悩ましてるのは、そのことだけだからさ。ぼくらを不幸にしているのは、そのことだけなんだ」 女は数珠のカーテンを見て、手をのばして数珠を二本つかんだ。 「そうすれば、なにもかもうまくいって、あたしたちは幸福になれると思うの?」 「そうとも。こわがることはないよ。それをやった人をたくさん知ってるんだ」 「あたしも知ってるわ」女は言った。「それをやったあと、みんなしあわせになったわ」


 「そうすれば、なにもかもうまくいって、あたしたちは幸福になれると思うの?」

うわあ。

 「それをやったあと、みんなしあわせになったわ」

うわあ。

「この景色だって、みんな二人のものにできるのに」女は言った。「何もかも、すっかり二人のものにできるのに、あたしたちは、日一日と、それを不可能にしていくんだわ」 「なんて言ったんだい?」 「何もかも二人のものにできるのにって言ったのよ」 「何でも二人のものにできるさ」 「いいえ、できないわ」 「全世界を二人のものにすることだってできるよ」 「いいえ、だめだわ」 「どこへでも行けるじゃないか」 「いいえ、だめよ。もう二人のものじゃないわ」 「二人のものさ」 「いいえ、ちがうわ。いったん奪いとられたら、もうとりもどすことはできないわ」 「しかし、まだ奪い取られてやしないぜ」 「いまにわかるわ」 「日陰へもどっておいでよ」男が言った。「そんなふうに考えちゃいけないな」 「どんなふうにも考えちゃいないわ」女は言った。「ただいろんなことがわかっているだけよ」


 「いったん奪いとられたら、もうとりもどすことはできないわ」

ひええ。

 「いまにわかるわ」

ぐわぁ。

「よくわかってくれなくちゃ」男が言った。「したくなかったら、しなくてもいいんだよ。きみにとって、すこしでも意味があることなら、ぼくはよろこんで我慢するよ」 「あなたにとっても意味があることじゃないかしら?あたしたちなんとかやっていけると思うわ」 「もちろんぼくにとっても意味があるさ。しかし、ぼくはきみ以外だれもほしくないんだ。ほかには、だれもほしくない。それに、あれがとても簡単だってことも知ってるんだ」 「そう、ひどく簡単だってことを知ってるのね?」 「なんて言おうと、それはきみの勝手だが、ぼくはほんとに知ってるんだ」 「ねえ、お願いがあるの」 「きみのためなら何でもするよ」 「どうか、どうか、どうか、どうか、おしゃべりをやめてちょうだい」


ああああああああ。

そう、私たちはこうやって「うまくやっていく」のだ。
だって、生きているのだから。

こんだけ引用しといて何なのだが、私はこの作品が好きではない。
いや、心から傑作だと思う。ヘミングウェイの作品の中でも圧倒的に切れていると思う。

しかし、好きではない。
好き嫌いで言えば、たとえば『ドルイドさん』の方が好きである。

ヘミングウェイなら『兵士の故郷』なんて大好きだ。

ものすごくあたり前のことなのかもしれないが、「すきなもの」と「すごいと思うもの」は違う。
でも、なぜ違うんだろう。

正直、よくわからない。

この二つの重なる部分が大きい人もいれば小さい人もいるのだろう。

まあ、くらべようのないことなのかもしれないが。


われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)

  • 作者: アーネスト ヘミングウェイ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1995/10/01
  • メディア: 文庫



ヘミングウェイ短編集 (1) (新潮文庫)

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  • 作者: ヘミングウェイ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1970/06
  • メディア: 文庫



勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

  • 作者: アーネスト ヘミングウェイ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 文庫



蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)

蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)

  • 作者: アーネスト ヘミングウェイ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/03
  • メディア: 文庫



ヘミングウェイ全短編

ヘミングウェイ全短編

  • 作者: アーネスト ヘミングウェイ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



ヘミングウェイ短編集

ヘミングウェイ短編集

  • 作者: 大庭 勝
  • 出版社/メーカー: 成美堂
  • 発売日: 1991/09
  • メディア: 単行本



やってきたよ、ドルイドさん! (MF文庫J)

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  • 作者: 志瑞 祐
  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • 発売日: 2008/10
  • メディア: 文庫



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